ろくのゲームに関するブログ

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【第14回】今日のツイ上ブロ未

ツイ上ブロ未とは、ツイート以上の文字数は書くけど、ブログほどのクオリティは担保しない・ツイート以上ブログ未満略してツイ上ブロ未として、毎日投稿を続けられるクオリティを目指して色々書いていくものです。


今日のテーマは「クソ教師の共通点」です。


大学で講義を受けていると、たま〜にクソほど退屈+眠たくてくだらない講義にぶち当たります。シラバスを読み、講義「内容」が面白そうだからと履修したものにも関わらず、です。もしかしたらシラバスを読んで講義内容に興味を持って行ったものの、自分が想像していた内容と差があったのかもしれませんね。それであれば、履修修正期間で回避すれば何も問題ありません。


問題は『講義「内容」は面白そう・シラバスの成績評価方法にも異論はない、しかし教えてる人の教え方が絶望的に下手くそだった時』です。


・そもそも話の合間に「あー」「えー」みたいな相槌がめっちゃ入ってきて、話そのものが頭に入ってこない

・話の組み立て方が下手であっちこっちに話題が移る

・派生して講義と直接関係ないことまで長々と話してしまう


主に体験したのを挙げるとこんな感じですね。そう、つまりは講義をする人が下手くそというパターンです。
1番目の相槌の問題。これは歳を重ねるごとにそういう人が増える傾向にあるように感じます(偏見だよ)。

2番目と3番目の問題。これは具体的に例を挙げた方がわかりやすそうなのでそうしてみます。

例)ラップ
ラップとは音楽手法・歌唱法の1つ。メロディをあまり必要とせず、似た言葉や語尾が同じ言葉を繰り返す「韻」を踏むのが特徴。近代のラップの先駆け・原型を形作ったものは、南アフリカのグリオと呼ばれる伝統伝達者だと言われている。

という内容を説明すると仮定する。

私が言う「話が飛ぶ」とは、ラップの話をしている途中に韻という単語について説明した後、「韻っていうのはね、詩文で一定の間隔で並べられる同一または類似の響きを持つ言葉のことで、律詩とか絶句がわかりやすいですよね。漢詩だったら偶数句に押韻があるけど、場合によっては最初の第一句の末尾も押韻の時もある。律詩だったら杜甫の春望が有名だよね。深(しん)・心(しん)・金(きん)・簪(しん)、こういう風にi・nnで押韻になっているんです。」


とまあ、こんな感じで説明する人のことを指します。飛躍し過ぎているように見えて、脱線の仕方に関しては誇張0です。ラップに関する説明をして切り上げればなんの問題もない・韻という単語について補足的な説明をするところまではわかる・しかし、その後自分が話したいから律詩とか絶句について話し、挙句の果てには杜甫の話までしちゃう。


こういう先生方は思っているより多いです。こんなクソ教師の共通点とは・・・


【自分本位】


これに尽きます。聞いてる学生の需要を意識せず、自分の供給のことばかり考えている。


教育者にも教育は必要だ、というのをどこかで聞いたことがあります。教鞭を執る人だからこそ、いつになっても学ぶ姿勢を失わないようにすることの大切さを、クソ教師を反面教師として私は学ぶことが出来ました。ある意味御礼申し上げたい所存であります。























嘘だよ。ふぁっくですね。


ここまで読んでくれた方、ありがとうございます!☺️